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二〇〇二年以降、日本企業は人件費の削減を強め、その効果に支えられて、経済は「回復」を続けて来た。
だが、人は自分の得意なものでつまずく生き物だ。
話術が得意な人は舌禍事件につまずき、策謀にすぐれた人は策におぼれてつまずき、そして、人件費減らしで態勢を立て直した日本企業は今「人件費削減頼みの経営」につまずきつつあるのではないかこの十年、日本経済の最前線ともいえる働く人たちの現場から取材を続ける中でつのっていったのは、そんな疑問だった。
一九九八年、バブル崩壊後の不良債権が大きな問題となり、Ysが破綻した。
大手企業が相次いで倒れる不安の中で、人件費削減は、企業生き残りのキーワードになった。
九九年には、派遣労働の対象業務が原則自由化され、○四年には製造業派遣も解禁され、低賃金で、解雇もしやすい非正社員を手軽に調達できる道が整えられていった。
○五年には、非正社員は三人に一人に迫り、十五〜二十四歳の若者ではほぼ半数、働く女性では半分を超えた。
九五年以降の十年で、非正社員は五百九十万人増え、正社員は、四百四十六万人減った。
二○○四年に取材で出会った二十四歳の男性は、不況下の厳しい就職戦線をくぐりぬけ、大学を卒業後、中堅化学メーカーの正社員に新卒採用された。
わずか半年の研修で工場のパート社員のまとめ役を担当させられ、右も左もわからない入社一年目の社員に、上司は言った。
「正社員は賃金が高いのだから、即戦力として管理業務くらいやってもらわなければ」。
年輩のパートたちの人事管理でストレスがつのり、うつ状態になった。
工場の製造物のせいもあってか、体中に発疹ができた。
たまりかねて退職したが、正社員が絞られる中で再就職の道はみつからず、フリーターとして生活費を稼いだ。
世間には当時、「若者はこらえ性がないからすぐ会社をやめて気楽なフリーターになりたがる」という声が渦巻いていた。
だが、そんな声をよそに、仕事のストレスによるうつ病などで精神障害になり、労災の申請をする人は増え続け、二○○○年の二百十二件から○四年は四百件以上に膨らみ、○七年には九百件を超えた。
九○年代末に三万人を上回った自殺者数は、以後もその水準が続いた。
一方で、○二年からは「戦後最長の景気回復」がスタートし、企業は相次いで「不良債権からの脱却」を宣言していた。
しかし、企業からも政府からも、これが働き手の我慢のおかげの景気回復であるといった声は、ほとんど聞こえてこなかった。
そのころ、テレビの討論会で、与党の国会議員と経営者、福祉に詳しい研究者が、景気回復について論じているのを見た。
国会議員が、「われわれが進めてきた構造改革が功を奏した」と声を張り上げると、経営者は「日本企業の努力の成果だ」と胸を張った。
黙って聴いていた研究者が、少し悲しそうな顔で、ぽつりと言った。
「景気の回復は、人件費の削減に懸命に耐えた働き手たちのおかげ。
働き手は、その貢献にむくいてもらっていない」。
その意見へのまともな答えはないまま、討論は別の話題に移っていった。
景気回復が働き手の犠牲の上に築かれたという意識がなければ、「回復」の成果を割り戻そうという政策や経営がとられるはずがない。
「回復」で増えた企業の利益のうち、どれだけが働き手に回ったかを示す労働分配率は、その後、下がり続けた。
二○○五年度の財務省の法人企業統計調査では、企業収益はバブル期を上回って過去最高を更新した。
業績が急速に回復するときは、賃金の伸びがこれに追いつかないため、労働分配率は下がると経営側は反論した。
だが、パート、アルバイトを含む従業員給与は三年連続の減少で、「追いつく」どころか、伸びてさえいなかった。
○七年四?六月期には、全産業の一人当たりの従業員給与は前年同期比○・二%減で四・四半期ぶりにマイナスになった反面、役員報酬は八・七%増となった。
確かに、大手企業では従業員給与は三・二%増えたが、役員給与は二○・七%も増えていた。
「企業努力による景気回復」といっても、多くの企業は、付加価値の高い製品をつくれる体質に脱皮できたわけではなかった。
NkRは、「日本は製造業がなお産業の中核で、アジア各国と正面から競争しなければならない。
中国の安さを考えると企業は簡単にカネを出せない」(二○○八年二月二十六日付「As新聞」)と表明している。
「人件費を減らす努力」でとりあえずの危機を回避できてしまったことが、高賃金に耐えられる企業体質づくりに目を向けるきっかけを奪ったといっていい。
人件費減らし頼みの経営がつれてきたのは、外需一辺倒の脆い体質だけではなかった。
企業は、高賃金を払える産業を育てるより、賃金を上げないために、労働条件改善を求める社員の声に耳をふさいでいられる仕組みづくりへ向かいつつあるように見えた。
こうした中で利益を出せる体質を維持するには、働き手の賃金を抑え続けるしかない。
「賃下げ依存症」である。
となれば、いつまでたっても働き手にはお金は回らない。
働き手は消費者でもあるから、「景気回復」してもモノは売れない。
国内総生産(GDP)の半分を占める個人消費の足腰は弱く、消費不況の様相を呈していた。
一部の高収入の人々による「高額商品需要」が、かろうじて消費を引っ張り上げた。
内需が盛り上がらないから、国内の消費者の購買力に頼っている中小企業は追い込まれる。
そのため、多くの中小企業が、安い非正社員や外国人の労働力に頼るしかなく、自らの首を締めかねない人件費押し下げの動きに同調することになった。
こうした賃金抑制と円安の力を借りて、輸出力を強めた製造業は一人勝ちの様相となり、米国のITバブルにも引っ張られて、海外需要一辺倒の経済が出来あがった。
そこへ○八年秋の金融危機が到来し、海外需要も壊滅状態となった。
派遣労働の現場では、「蟹工船」「女工哀史」と呼ばれるほどの労働環境の悪化が話題になりつつあった。
同じ人間に対するそんな働かせ方に自らを納得させるには、社員の生の声が聞こえない仕組みをつくるしかない。
ひとつが、派遣会社が労務管理を引き受けてくれる派遣社員を増やすこと。
もうひとつが、「顧客重視」を旗印に社員の声を封じ込めるやり方だった。
「会社は社員の声が聞こえないのではない。
聞きたくないのだ」ということを、はっきり感じたのは、○四年ごろ、首都圏のバス会社で働く運転手の話を聞いたときだった。
運転手の会社では「お客様の満足を高めるため」として制帽の着用を義務づけ、サングラスとマスクは医師による「着用の必要がある」との診断書がなければ認めない方針を打ち出した。
理由は、「だらしない格好は顧客の満足を低める」からだった。
だが、運転する側からすると、術制帽は見通しが悪くなって着用が危険な場合もある。
サングラスは日差しがまぶしいときの安全運転には必要だ。
マスクも、排気ガスの多い場所では必要なことがある。
一線の働き手が蓄積した経験や臨機応変の措置が、「お客様のため」とのうたい文句で封じられかねない、というのである。
「顧客満足度調査」も導入された。
パート調査員が抜き打ちで乗って来て運転手の後ろから監視し、マニュアル通りに動かないと記録していく。
その回数が会社に報告され、査定に反映されて減給になる。
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